30歳になった

30歳になりました。
20歳からの10年間は、充実した10年間だったと思う。


10年前、地元長野のデジタルカメラ製造会社で働いていた。
コダック製のデジタルカメラのOEMを請け負っていた会社で、設計から製造、品質管理まで社内にある、中規模の会社だった。
デジタルカメラは当時最新のハイテクガジェットで、まだまだフィルムカメラが主流だった。
高卒で入社し、まずは製造部門で組立をしていたので、ハンダ付けがやたらとうまくなった。
一日中ラインに入っている仕事は1日で飽きてしまい、時計が全然進まないことに絶望した。
19歳になった頃に異動することができ、生産技術の仕事になった。
設計されたデジタルカメラをどうやって生産できるようにするのが仕事だった。
20歳になった頃は、世の中、これからは中国で物を作る時代だ!ということで、右も左も中国を叫んでいた。
自分たちも社内で製造をしなくなり、上海の工場でデジタルカメラの製造ラインを立ち上げるのが主な仕事になっていた。


当時の自分は工業高校で学んだC言語アセンブラ位しか書けなかった。
基板の検査装置をつくったりもしたけど、基本は自分で設計や開発をする仕事ではなかったのが不満だった。
残業代を含めないと、月給は16万ちょっと。
なけなしのボーナスでコンパックのPCを買って、会社の寮にISDNを引いて学校以外で初めてインターネットを使った。
世界が一気に広がった気がした。
(エロ方面に裕福になった。)
携帯は、まあまあ今のガラケーの基本機能は揃っていたと思う。
FMが聞ける携帯を買ってうれしかったきがする。
TOEICで、200点台をとった。TOEFL換算不能と出た。
これからはJavaの時代だということで、Javaを勉強したけどオブジェクト指向がよくわからなかった。
会社の先輩に怪しいインターネットビジネスに誘われて、「CGIできる?」と聞かれて「CGはできません」と答えていた。
Apacheをローカルで動かしてみたけど、何が起こったのかさっぱりわからなかった。
VisualC++を使った仕事をしている先輩が羨ましくて仕方なかった。
高かったので、ボーランドDelphiとかやってみたけど、コレジャナイ感がすごかった。
GUIに妙に憧れていたと思う。


会社のやり方や、今の自分の境遇にとても不満を持っていて、先輩にアレコレ意見をしていた気がする。
MBAとか妙に流行っていて、「自分もアメリカの大学でMBAとか取りたい」と大卒の先輩に話したら、「君には無理だよ」的なことを言われて腹が立った。
自分はもっと能力があって、チャンスさえあれば他の誰よりうまくやれると思っていた。
まあ、そんな20歳でした。




10年たった今、コダックは破産した。
インターネットは信じられないくらい世の中に普及しているし、携帯はスマホになった。
オブジェクト指向も一応わかるようになり、プログラム言語は色々書けるようになった。
VisualC++を勉強しようとする人なんて周りに全然居なくて、みんなJSとか勉強している。
MBA取りたいなんて気持ちはすぐに無くなったけど、アメリカに留学することは全然可能だと思えるようになった。
英語は、skype英会話教室でフィリピンの先生と会話できる位にはなった。
20歳の時に付き合っていた素敵な人と結婚することもできた。
がーっと書きだしてみたけど、10年も経つと自分も世界もえらい変わるもんだ。
良い意味でも悪い意味でも、安定なんてどこにもないな。
後悔があまり無い、楽しい10年間だったと思えるのは幸せだと思う。


10年後振り返った時に、また同じように思えるように、これからの10年間もチャレンジし続けていきたい。