しゃもじとiPad

先日,母の日に実家の母に電子レンジを送った.
エコポイントでヨドバシのギフト券があったからだ.
我ながら,親思いの息子の鏡だと思う.
配送手続きで待っているとき,お釜コーナーでしゃもじを見つけた.
そういえば,今使っているしゃもじはご飯を盛るときに米がベタベタついて使いにくいな,ということを思い出した.
東京に出てきたときにお釜を買い,それと一緒にかったしゃもじなので6年以上使っている.
そりゃへたるわけだなー,なんて考えながら,色々売っている中で黒くて立てられるしゃもじを選んだ.

立つしゃもじ ブラック K-386BK
マーナ
売り上げランキング: 3595

別に普通に米がつきにくくなればいいや,くらいの感覚購入したのだが,これが素晴らしい.
立つことも素敵だったが,それ以上に驚いたのがすくいやすくて米が全然つかない.
アマゾンに書いてある特徴曰く,

  • フチが薄いので炊けたご飯をつぶしにくく、すくいやすい
  • ヘラ面表面の特殊エンボス加工でご飯がこびりつきにくい

らしい.
フチが薄いのでほげほげ,なんてのは全く気にしてなかったが,いざ使ってみるとすごい.
炊きたての,釜の中で平らになったご飯につっこむと,切れるように刺さる.
それからというもの,ご飯を盛る行為が楽しくてしょうがない.


ものを買うという行為は,必要に迫られて買う場合とそうでない場合がある.
どちらの場合でも,自分の生活が豊かになることを期待して買う.
自分の場合は,必要に迫られていないものの方が,期待度が遙かに大きい.


日常生活において必要に迫られて買うものは,今使っている何かがうまく機能しなくなり,生活に支障をきたしているから買い換えるという場合が多い.
その場合,新しく買うものの性能や価値はほぼ予測可能で,いざ買ってみてもそれほど大きな驚きはない.
また,今あるものを置き換えるだけなので,生活は大きくは変わらない.
一方,生活に新しく導入する必要に迫られていないものを買う場合,驚きや感動,購入後のより豊かな生活を期待して購入する.
そして期待通りかそれ以上に機能する場合,生活は変化し,また1つ自分の日常に必要なものが増える.
これだけものが普及した世界で,必要でないものを買わせるのはとても難しい.
景気が悪い今の時期なら,いっそうその傾向が強い.
なぜなら,必要のないものは贅沢品だからだ.


昨日発売されたiPadは,必要に迫られて買う人はまだいないと思う.
それでも大きな注目を浴び,アメリカでもかなりの販売台数を記録したのは,そこには,自分の生活を変えてくれる何かへの期待があるのだと思う.
マスコミに大きく取り上げられている電子書籍は本質ではなく,日常生活の変化が大切だと思う.
あのサイズ,iPhoneOS,タッチパネル,豊富なアプリ,これらがそろった端末がリビングに置いてあることによる生活の変化を想像すると,わくわくしてよだれと痙攣が止まらない.
日本の家電メーカーが最近つまらないのは,生活が変わる感を感じられる製品が無いからだと思う.
テレビだってデジカメだって,もう性能が上がってもそれほど驚かない.
3Dテレビも,,何というか日常生活とアンバランスな印象を持つ.
(3Dメガネのこと.)
昔のソニーなんかは,未来の生活を夢見させてくれるような商品を作っていたように記憶しているのだが.
AIBOとか..